ブスと血糖値と子育てと。

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先日、小学生の息子の授業参観がありました。授業が始まる前、先生が、黒板の上にある掛け時計に、ごみがついているのを発見したらしく、腕を伸ばして、とろうとしているのですが、なかなかとれず。

 

それをみた生徒の一人が「先生!○○くん(息子)のお母さんにとってもらったらいいと思います!」と発言すると、それがいい!それがいい!と何人かの生徒たち。

 

やっぱり、私は背が高いって、思われているんだなぁと。身長175cmもあるので、当たり前なんだけど、こういうことがあって、気づかされます。美人は自分が美人だと気づいてないみたいなこともあるように、意外と自分がどう見られているか分からない。

 

いやでも、やっぱり、美人は美人って、気づいてるか!毎日鏡みてるんだから!!でも、逆に、ブスはブスに気づいているかと言われると、意外と気づいてない場合もあって、やっぱり、自分のことはよく分からないものです。

 

独身時代、新宿2丁目のお店に上司と行ったときの話です。

 

上司「ヤーコン、まだ結婚してないんですよ、彼氏もいないんですよ~。」

 

IKKOさんみたいなママ「あら、そうなの~。うーん、でも、まぁ、ヤーコンちゃんは、ブスなほうじゃないから、大丈夫よ~」

 

ヤーコン=私(心の中)「ブ、ブ、ブスなほうじゃない?ブスの基準表があるとしたら、わたしはどの辺りなのでしょうか?」

 

”ブス”という否定系の言葉と、”なほうじゃない”と曖昧な否定形の言葉の組み合わせ。

 

“ブスなほうじゃないから”。この言葉を言われたことがない人は、分からないと思いますので、お伝えしますと、なにか分からない鈍器でココロを殴られてよく分からなくなる感覚です。あの鈍器は一体なんだったのか?。私は何に殴られたのか数日間、考えさせられる表現。そして、鈍器を明らかにしたくて、またその店に行きたくなる感覚です。

 

ちょっと、分かりづらいですね。では、例えば、糖尿病の判定基準。

空腹時血糖値126mg/dlまでは、糖尿病予備軍ですが、私は、予備軍なのでしょうか。それとも、まだ予備軍でもないのでしょうか?それとも、もう糖尿病であるけど、軽い糖尿病なんでしょうか?

 

わたしは、ブス予備軍なんでしょうか?それとも、もうブス症状でているけど、その中でも症状が軽いのでしょうか?遺伝って関係ありますか?野菜から食べれば、まだ大丈夫でしょうか?と自分の症状が判定できないので、再検査をしたくなる感覚です。

 

もっと分かりづらくなりました。もうひとつ例をあげてみます。

 

20代の頃、友人のお母さんが経営している宝石屋さんに行っていたときの話です。

 

この宝石はあなたに似合う、これは似合わない、こっちのほうがいい、と、はっきりアドバイスしてくれるお母さまで、それがいいのか、いつもお客さんがたくさんいて、立地的にもお客さんに芸能人やモデルも多い店。

 

「あら、ヤーコンちゃん、いらっしゃい。相変わらず、スラっとしてるわね。顔もちっちゃい。モデルやればいいのに。ヤーコンちゃん、もったいない~。」と行くたびに言ってくれます。

 

そして、そのあと、必ず、「ほら、いまのモデル、顔、関係ないから。お客さんでもモデルの人いるけど、いまの時代、顔は関係ない!!だからヤーコンちゃん、なれる!大丈夫。」

 

あ、あの~お母さん。その“大丈夫”は、どの言葉にかかっているのでしょうか?国語のテストだったら、“この大丈夫は、文章中の、どの言葉にかかっているのか、10文字以内で答えなさい”と出題されます。

 

そのなんだかココロを揺さぶる鈍器の名前を早く教えてください、となる感覚です。

 

あ、また鈍器に戻ってしまいました。分かりづらくてすみません。ブスVS美人で、ディスカッション大会することになれば、私は100%ブス組で、美人を打ち負かすほうだということです。はっきりブスと書けない未熟さよ。

 

しかしながら、これまでの人生、いくら、ブスと言われても、いや、ブスの“ほう”じゃないと言われても、落ち込んだことがないのです。それはなぜなら、心底、自分をブスだと思っていないからなんです。

 

「しあわせは、じぶんのこころがきめる」 byあいだみつを

「ブスも美人も、自分のこころが決める」 byヤーコン(これは、世間が決めることか!)

 

この自分をブスだと思っていない、この思い込みの心は、両親からの洗脳が根底にあります。

 

両親は、共働きで忙しく、一緒に時間を過ごすことが少なかったため、もっと、時間を割いてあげればよかったと、子育ての反省というか後悔があるようです。

 

しかし、その後悔を払拭するに値する子育てが、ここにあります。

 

ある日、父がテレビをつけながら、うとうと寝ていました。そのテレビに、伊藤美咲というモデルがでたタイミングで、目を覚まし、放った父の一言。

 

「あいやー、ヤーコンちゃんが、テレビにでているかと思ったじゃー。あれ、やっぱり、ヤーコンちゃんのほうがかわいい。」

 

またある日。テレビに水野真紀という女優がでていて、「この人、かわいいね~」と私が言うと、「ヤーコンちゃんのほうが、もっと断然かわいいわよ~。」と母。

 

(なんか、ふたりとも、ふざけてるだけじゃん、と思いますが、当時は気づかない私)

 

ピュアな成長期に、そんな風に言われつづけ「絶対にヤーコンちゃんはかわいい」という言葉が降り注がれた私の心には、自分を肯定する力、肯定感が育ちました。

(絶対という言葉が、もはやあやしいと思いますが、当時は気づかない私)

 

現在、2月中旬、外では雪がシンシンと降っています。雪は、降ってもすぐには積もりません。降っては消え、降っては消え、消えながら、道路を冷やしていきます。道路が十分に冷え切った、その瞬間から、1cm、2cmと、道路には雪が積もりはじめ、灰色の道路は、真っ白な雪景色に変わっていきます。

 

コトバも同じで、何度も何度も言い続けて、やっと、カタチになる。

 

親が子に肯定的な言葉を言い続けることは、勘違いさせることはあっても、不幸にすることはないかと思います。

 

勘違いが不幸をうむことがあるので、それはそれで不幸なんだけど、根底では不幸じゃないみたいな。

 

学校のときのあだ名が、こけしでも、地蔵でも、ときに「ヤーコンちゃん、○○っていう歌手の”整形前”の顔に似ている」って言われても、”整形前”という言葉より、歌手に似ていることに喜でんしまう勘違い娘になるだけです。

 

大人になって、“ブスなほうじゃないわよ”と言われても、“いまの時代、顔は関係ないわよ”と、さまざまな鈍器でココロを殴られても、親から肯定免疫力をもらっているので、回復も早いのであります。

 

そして、40年ちょっと生きてきて、自分の顔について、いま総合的に思うのは、「ブスなほうじゃない」という表現が一番しっくりきているということ。新宿2丁目のママ!おそるべし!どんだけ~!!!

 

授業参観のときの掛け時計のゴミは、私がスッと手を伸ばすと、すぐ届き、サッととると、生徒たちは、すげー、わはははー!と。箸が転がっても笑う年頃か。去り際に、キャッツウォークでもして、何かしら、ひと笑いとればよかったと悔やまれる授業参観となりましたので、今後の課題にします。